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長野県伝統的工芸品指定 信州上田の木彫工芸 農民美術
三代目中村実工房
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農民美術の歴史
history
農民美術90余年の歴史
農民美術は洋画家山本鼎先生(明治15年〜昭和21年)が1919年に一粒の種を蒔いたことから始まりました。
大正5年、山本鼎はヨーロッパ留学の帰国途中モスクワに半年ほど滞在し、そこでロシアの農民が製作したすばらしい木彫りの作品を見て感激しました。
当時の日本の農村は大変貧しく、信州のように寒い地方などは長い冬の間、何もすることが無い状態でした。そこで山本鼎はそれを日本でも出来ないものかと考えました。
まず大正8年に長野県小県郡神川村(現上田市)神川小学校に於いて農民美術練習所を開設することにしました。
しかし応募者は25歳の初代中村實ただ一人でした。
受講者一人では開設もままならず、農村青年初代中村實は友人を誘い予定より1週間遅れの12月8日に受講者5人でようやく開所となりました。
大正8年12月5日 農民美術練習所開設
前列右から2番目初代中村實、前から2列目右から4人目山本鼎
實は一期生として鍬を持つ手に彫刻刀を持ち、農閑期の制作活動から始まり、後に本業として年間を通じて制作すると共に、北は樺太から南は鹿児島まで農民美術の普及のための講習会に山本鼎らと共に日本中飛び回りました。
農民美術研究所練習風景 前列手前が初代中村實
当時はハイカラなマント姿
(前列右、初代中村實。 後列右、山本鼎)
そして各地に農民美術生産組合も出来て栄えたのでしたが、第二次世界大戦中には平和産業である農民美術生産組合はすべて解散してしまい、戦後復興したのはわずかでした。
その後、上田市周辺では長野県農民美術連合会も結成され、長野県指定伝統的工芸品にも指定されて、現在15人ほどが連合会員として専業で制作活動をしています。
さらに詳しいことは平成11年に行われた農民美術80周年記念祝賀会に於いて、二代目中村実が講演した内容の抜粋をどうぞ。
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