自画像 1915 | 代表作 漁夫 1904 |
1882 | 10月14日愛知県岡崎市にて父一郎、母タケの一人息子として生まれる。 |
1892 | 3月、小学校尋常4年を卒業。浜松町の西洋木版工房の弟子となる。 |
1902 | 8月、東京美術学校西洋画科選科予科に入学。翌年4月選科に入学 |
1906 | 東京美術学校西洋画科選科を首席で卒業。 |
1912 | フランスのエコール・ド・ボザールに入学。 |
1916 | 6月にパリを出発、スカンジナビア半島を経てモスクワへ。平田領事宅に寄宿。ここで児童創造美術展と農村工芸品展示所を見て大いに感銘する。12月、シベリア鉄道経由で帰国。 |
1918 | 12月長野県神川小学校で「児童自由画の奨励」と題し講演。 |
1919 | 2月、従弟の村山槐多死去。4月、神川小学校で第1回児童自由画展 |
大正8年12月5日、日本農民美術練習所を神川小学校に開設。 この日から農民美術の歴史が始まる。 |
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1920 | 5月、三越本店で農民美術製作品展示即売会。 |
1922 | 1月、春陽会設立に参加。4月、農民美術生産組合の組織化をはかる。12月、神川村大屋に日本農民美術研究所を新築。倉田白羊らを招き、翌年から同所で講習を開始。 |
1924 | 東京に日本農民美術研究所出版部を設け、雑誌「農民美術」を創刊。長野県北上村(現白馬村)で農民美術の第1回地方講習会を開催。以後10年にわたり農商務省や府県市町村の支持を得て全国各地で講習会が開かれ、生産組合が作られる。 |
1925 | クレパスを考案。桜商会で製造販売することになり、同社役員となる。 |
1931 | 日本版画協会設立に参加、副会長に就任。農民美術研究所の経営不振のため、桜商会の株を手放し借財の返済に当てる。 |
1934 | 農民美術研究所への国庫補助金打ち切りのため作品頒布により経費を作ろうとする。 |
1935 | 三越本店で個展開催。帝展松田改組により参与に任命される。春陽会が帝展不参加を決めたので春陽会を退会。 |
1936 | 帝展再改組で「指定」(無鑑査、審査員)となる。 |
1943 | 春陽会会員に復帰する |
1946 | 10月8日腸捻転にて死去。享年満63歳。上田市大輪寺にて葬儀。 |